篠原涼子と小室哲哉の関係って本当だったの?

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今や知らない人がいない位の知名度を誇る 篠原涼子さん。
歌手や女優へと仕事の幅を広げしかもその全て成功を収めてきた篠原涼子さん。

彼女はここまでどんな道のりを歩んできたのでしょうか?

もくじ

まずはプロフィールから見てみましょう

本名:市村涼子(旧姓:篠原)

生年月日:1973年8月13日

年齢:44歳(2017年)
星座:獅子座        

出身地:群馬県

血液型:B型

身長:162cm

体重:45kg

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芸能界に入るキッカケは?

女優ではなく元々は歌手になりたくて上京してきたのだそうですね。

オーディションを受けるために高校を中退してまでも上京したと言われているので、その覚悟は相当だったのでしょう。

そして篠原涼子はそのオーディションで見事合格となり、無事 東京パフォーマンスドール(通称:TPD) の初期メンバーとしてデビューを果たします。

デビュー当時は人気がなく、観客は数人、それもメンバーの家族のみの時もあったみたいです。そんなTPDですが徐々に人気が出て、ついにはコンサートのチケットが取れないほどの人気にまでなったそうです。

篠原涼子は踊りがあまりうまくなかったのですが、歌唱力が上手かったので、その存在感にますます注目が集まったといいます。

そんな彼女ですから人気は絶大だったそうですよ。

僕も調べてわかったのですが、実はTPDのアルバムの時にすでに小室哲哉はプロデュースしていたのだそうです。
この時から運命の赤い糸がつながっていたのでしょうか?

それから「愛しさと切なさと心強さと」の楽曲提供をすることにあたり、初めは篠原涼子の他に、穴井夕子というメンバーとどちらにするかかなり悩んでいたとゆうエピソードがあったなんて僕も初めて知りました。

小室哲哉は曲自体にとても自信があったので、どちらを選んでも「売れる」と思っていたらしいです。
しかし、結果的には結果、篠原涼子を選んだのでやはり彼女を気に入っていたんですね。

そして、このシングルでダブルミリオン(200万枚)を達成した初の女性アーティストという偉業を達成しています。

そしてそれを機にトップアーティストの仲間入りしたのは皆さんご存じのとうり、、、

二人の関係は?

3枚目のアルバム「Lady Generation」の時に、突然小室哲哉から「(プロデュースは、これが最後で)もういいよね  と言われてしまったのだそうです。

二人の中で何があったのかは分かりませんが、その最後のシングル発売の翌月には華原朋美が「keep yourself alive」でデビューしていますので、やはり華原朋美さんと関係があるのでしょうか?

そうなると小室哲哉とは音楽以上の関係はなかったと言えるのではないでしょうか?

結婚は誰といつしたの?

2003年に俳優の市村正親と結婚しましたが、どうやらそれが略奪愛だったらしいですよ
当時市村正親は劇団四季の八重沢真美という妻がいたらしいのですが、篠原涼子は仕事の相談をしているうちに交際に発展し不倫というカタチで報道されています。

そして市村正親は前妻と離婚、、、
聞くところによると篠原涼子はかなりべた惚れだったし、その時からすでに市村正親を自分のものにしようという気持ちがあったみたいです。

また、子供も青山学院付属の幼稚園に入れるなど教育の面でも熱心で、この幼稚園は、男女合わせて20人前後しか入学できない超・難関幼稚園です。

まとめ

いかがでしたでしょうか?
順風満帆に見えた彼女の今までの人生は派手な芸能活動とは裏腹に色々あったようです。

それにもかかわらず、ドラマ・映画に大活躍中の彼女を見ていると応援したくなるのは彼女の持っている魅力なのでしょうね!

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